旅館
大自然に咲くもうひとつの花
ホテル鹿の湯 別館花もみじ
定山渓温泉郷にあるホテル鹿の湯はまもなく創業90年を迎える老舗の温泉宿である。別館花もみじは80室を有する純和風の温泉旅館だ。今は廃線となった札幌市内と定山渓を結ぶ定山渓鉄道が1918年に開業したので、定山渓の本格的な開発と歴史を共にしてきたともいえる。花もみじの建設は1992年に北海道出身の有名な建築家である上遠野 徹氏によるものである。京都の伝統的な建築様式を取り入れた館内は、古風な作りながら明るい雰囲気で居心地よく、温泉宿のワクワク感が生きている。
この旅館の屋号である「花もみじ」の名前のとおり、花と紅葉のイメージを十二分に活かしたデザインが至るところに施されている。花もみじでの宿泊は、京都の橋のような伝統的なデザインを連想させる玄関に入ると同時に迎えてくれる、人懐こそうな仲居さんの挨拶や金色に輝くロビーで始まる。左手には金箔の上に描かれた大きく赤く染まった紅葉の華やかな絵、その向かい側には間接照明で上品に照らされたフロントがある。その奥のカフェには、景色を堪能できる座り心地のよいソファーや、心地よい音を奏でるオーディオシステムが備えてある。雪が積もる季節には白い景色を、雪解けの時期には花や新緑を楽しみながらコーヒーを飲むことができる場所だ。まだまだロビーでのんびりと過ごしたい未練を残しつつ客室に入ると、純日本の美しさを誇る部屋が広がる。家族で来ても十分に寛げる広さだ。仄かに香る畳の存在感や足元の清潔な感触。部屋まで案内してくれる仲居さんの言葉ひとつひとつからも、ここに来て良かったと心から思える。
花もみじの部屋は全て同じであり、よくある特別室やスイートルームなどは存在しない。それはお客様に差を付けたくないからであるという。高価な部屋を利用する人を特別扱いすることで、ての客を平等にもてなせないならば、究極のくつろぎを楽しむことができないと考えるからだ。これは真のおもてなしを提供したい信念ゆえの工夫ではないか。誰もが同等な立場から旅館のサービスを受けられること、他人の贅沢を気にして萎縮することのない花もみじ。たまの休日を最大限楽しめる場所であると確信する。
夕食は日本懐石料理が基本だ。北海道の海と山の幸をひとつのテーブルで楽しむ。これは道民でさえなかなか経験できないことである。テーブルの上には新鮮な魚や季節の素材を贅沢に使った料理が並び、どれから手をつけたらいいのか迷うほどだ。料理を担当する高井一夫料理長は日本各地で修行を積んでおり、北海道の食材の特徴や季節ごとの味の微妙な変化、色合いまで計算し、魂を込めて料理をつくるという。これは料理以前に1曲の音楽に例えられるだろう。前菜のみずみずしさは前奏曲であり、プリプリ歯ごたえのある北海道産の刺身はクライマックスまでの案内役。上品な霜降り肉や暖かい鍋料理で強いインパクトを残す。近年世界遺産にも登録された日本食の良さを極める夜のひと時だ。
食事が終わって部屋に戻るとふかふかの寝具がすでに敷かれている。布団が敷かれた部屋は昼間の雰囲気と一変して感じられるだろう。特に、雪が降る季節では白い雪が日常の音を包み込み音量を絞るようで、雪の中だけで感じられる神秘静寂が世を覆う。外の寒さもものともしない暖かい布団に包まれることこそ、北海道の冬を過ごす、小さな幸せのひとつではないか。
花もみじの一番の楽しみは温泉ともいえる。こちらには大浴場が2カ所、貸切風呂が3カ所ある。また、隣にある本館、ホテル鹿の湯の大浴場も自由に利用でき、合わせて6カ所の風呂で身体を癒すことができる。1泊の宿泊ではすべての風呂を堪能することが難しいくらいだ。両館の温泉は自家源泉を使用している。定山渓温泉では開湯当時から3つの源泉が湧き出ていたといわれている。温泉郷上流の上の湯、温泉街中央の中の湯、そして花もみじやホテル鹿の湯が使用している下の湯だ。下の湯、別名「鹿の湯」とも呼ばれるこの源泉は、昔、怪我を負った鹿が治癒のために入浴していたことから名付けられた。無色透明の温泉には鹿の怪我を治すほど多くの有効成分が含まれており、美容面はもちろん18の疾患に効能があるといわれている。
旅館の4代目経営者である金川浩幸氏は温泉のさらなる発展に尽力していると語る。サービスや客室、料理に力を注ぐのは勿論だが、さらに温泉に人の手を加えることでより良いものにできるからだと話す。両館では常に最高の泉質を保つため、最初に湯を溜めるとき以外は一切加水をせず、80℃近い源泉のみを使用して温泉の温度調整をしている。しかし、高温の源泉を適温に調整するのはかなり難しい仕事なのだそうだ。風呂の温度を調整する人を「湯守(ゆもり)」というが、彼らはその日の気温、天候、客の数や反応に合わせて微妙な湯加減を行う。一人前の湯守になるには長い現場経験はもちろん、花もみじの温泉の構造や特徴を完璧に理解しなくてはならない。彼らの手によりつくられてきた最高の温泉。およそ90年間続けてきたこの温泉を次世代に伝えたいという強い意思を持つ職人たちがいるから成り立つものでもあるのだ。深い森林に覆われ、澄んだ自然に囲まれた定山渓温泉。そして、ここに咲く幾多の花や植物。人々が誇りを持って働いた甲斐あって咲かせた淡く清楚で可愛らしい花こそが花もみじではないのか。その中で過ごせる私だけの休日を経験してみては。
* 住所:札幌市南区定山渓温泉西3-32 / 電話番号 : 011-598-2311